嘘のオンパレードの「加計学園」閉会中審査で問題の本質を考える

学園の閉会中審査は嘘のオンパレード

安倍晋三首相の友人が理事長を務める学校法人「加計学園」の獣医学部新設を巡り、衆院文部科学、内閣両委員会合同の閉会中審査が7月10日に行われた。

僕は夜のニュースでその様子を小学生の子供と見ていたが、あまりの酷さに言葉を失った。

「文書はなかった」

「文書はあった」

「個別のやりとりは記憶にない」

「指示を受けた記憶はない」

「そんなことは言っていない」

審査の内容を誰が見ても明らかなのは、答弁をした人たちの中に「嘘つき」がいるということだ。話が全く噛み合わないのだから、間違いなく誰かが嘘をついている。

官僚も政治家も、日本の行政や政治の中枢にいる人たちは、証拠さえ残っていなければ、全国民の前でも堂々と嘘をついても良いと本当に考えているようだ。嘘をついている人たちは、自分の子供に対しても同じ嘘をつけるのだろうか。

個人の倫理観もたやすく捻じ曲げてしまう組織の論理というのは本当に恐ろしいものだと思う。

「加計学園」問題を超単純化してみる

今回の加計学園問題に限らず、物事が複雑に見えた時は、単純化することが大切ではないかと思う。今回の件はこんな感じかと。

・規制が厳しくて、全く許可が下りなかった

・突然ある一人に対し、許可が下りた

・下りた人を調べると総理大臣のお友達だった

話は実に解りやすい、これは単なるえこひいき問題だ。小学生が考えたって、何かおかしいということがはっきりわかる。

問題は、えこひいきをした人たちがそのことを全く認めないことだ。

しかし、面白いことに本人たちが認めようが認めまいが、今にいたっては日本の全国民が不公平はえこひいきが行われたことをほぼ確信しているのが現状ではないかと思う。

また、何か正しくないことをすると、どこかで帳尻が合うように世の中の法則はできている。 内閣支持率の急落は、まさにそうした帳尻合わせの一端だと僕は理解しています。